ワケがない美

栃木県・益子町にある「益子参考館」に行ってきた。

民藝運動の活動家のひとりである、陶芸家の濱田庄司の元住居・工房があった場所に作られた美術館。建物も修繕をしながら1900年前後のものをそのまま使い続けている。

木がモリモリ生えた小高い丘の土地に茅葺き屋根の家や石造りの蔵、登り窯が広々と建ち、そこに落ちたたくさんの枯葉を見ながら、この場所に風が吹き、時間が流れることをただぼーっと眺める。

外のベンチに座り、ふと考えたのは、「美しさ」ってなんだろうということ。この場所は美しいと思うこの心はなんなのか。「美」を、作家名のない誰かが作った日用品に見出した民藝運動。それらはなぜ「美しい」といえるのか。どこが美しいポイントなのかと聞かれたら、どう説明するだろう。

そんなこんなで考えを巡らせている中、暮しの手帖を立ち上げた花森安治が創刊号に掲げた言葉がふと思い浮かんだ。

『美しいものは、いつの世でも

お金やヒマとは関係ない

みがかれた感覚と、

まいにちの暮らしへの、しっかりした眼と、

そして絶えず努力する手だけが、

一番うつしいものを、いつも作り上げる』

感覚、眼、そして手があれば、美しいものは作り出せる。まさしく民藝は、こういう美しさを見出したのだろう。

そうだった。ここに考える頭は要らないのだった。なにごとも、理由をつい考えるクセのついてしまった私への、一撃であった。

頭で考えて導き出された理由はなくても、美しいものは美しい。直観による判断で充分なのである。

頭はたまに、邪魔をする。

あぁ、空気がすんで、美しく良い場所だったな。

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