もしも会えたら
世界的有名人にわたしのような一般人が触れることができるのは、何かしらの媒体を通してでしか叶わない。
直接会って話す代わりに、電話を受ける代わりに、直筆のお手紙をもらう代わりに、この作品を観に行った。というのがわざわざ1時間半のドライブを経て映画館に足を運んだ理由であった。
始まってから作中しばらく、そのことがとにかく頭をよぎっていた。どうにかして何かメッセージを受け取ろう。きっと何か込めているはず。
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エンドロールが流れたとき、なぜだか胸がいっぱいになった。これは物語に感動したとか、悲しいストーリーだったからとか、そういう理由ではなかったように思う。
本屋に行った時に、棚にびっしりと並べられた本たちに圧倒されて、なぜだか胸が苦しくなる、それと同じ感覚だった。
受け取ったメッセージは、形がなかった。だけど、「何か」があった。それは感動や喜びなど、単純な感情を生むものではなかった。宮崎駿の祈りや願い、この世に彼の影響力で何かを生み落とす責任。
そして、唯一受け取った、ハッキリとした描写。
今の世界は、あまりにも「死」と遠すぎる、ということ。動物も植物も自然であるものが、自分たちといつの間にか遠い存在になっている。自分が生きるということは、誰かが死ぬことであること。何かの犠牲の上に、命は成り立っていること。
それを忘れたニンゲンが、この世界にしたのだ。
当たり前とはなにか。生きるとはなにか。
お前たちは、これでいいのか。
これから、どういう世界にしたいのか。
確かに、そうハッキリと問われたような。
さぁ、これにどう返していこう。
もちろん、彼に直接会える訳はないのだけれど。
胸のざわめきが収まらないうちに。
7/29
『君たちはどう生きるか』
宮崎駿 / USシネマ木更津にて