熱か光か
無知は力なり。知恵よりも思想が勝つ。非現実的で非科学的でも正義を振りかざす。
学生のときはこんな感じである。世の中の動かし方よりも世の中のあり方に思いを馳せていて、でもそれには熱量があった。「◯◯はダメだ!」「◯◯が無くなればいい!」
よく物事を合理的に理性的に思考することを「冷静に考える」と言ったりするけれど、文字通りそうすると少し熱量は冷めるような気がする。その代わりにその冷たい世界の中に一本の線が走る。ずーっと真っ直ぐに。そしてその先に光が生まれる。
政治は国民全員、そして世界の人たちのことも含めた総体をどのように豊かにするかを考えることであり、その全員を「生かす」ことが仕事である。
思想的な理想を求めるのも大事だけれど、それがいつしか誰かを殺すことになる可能性があるとしたら。各地で戦争が起こりアメリカが助けてくれるかもわからない昨今、誰が自分たちを守るのか。情報を得るのも誰かとのコミュニケーションも灼熱の夏場にもはや生命線となったエアコンも電気がなければ何も出来ない現代で、非効率で不安定な発電方法ばかりになって電気代が高騰したら。
線が大事である。
こうして冷静に物事を見れば、自民党だって原発だって、そう頭ごなしに否定するようなものでもないようにも感じられる。今は。学生時代の私に会ったら何て言うだろう。でもその頃の私に教えてあげたい。熱より光であると。