かみさまはどこに
目に見えないものを、信じるか信じないか、そんな議論は人間界には数多くある。
「神さま」も「霊」もそれのうち。
昔から人間とある意味で共存している、とても不思議で大きな存在たちだ。何かを祈る相手。自分を護ってくれるもの。そして人間を壊すこともある怖い側面も持ち合わせる。
でも、実体がない。
科学が進み、目に見えるものや証明されるもののみを信じようとする現代で、神への信仰や霊的なものの存在の肯定は、少し時代の流れにそぐわないようにも感じる。
なぜ人はそれらを信じることをやめないのだろう。
それらと通じることができる人を「シャーマン」と呼ぶらしいことを、この本を読んで初めて知った。
わたし自身は、タロットもヒーリングも、「胡散臭い」というレッテルを貼り、信じる信じないかというよりも、近づこうとしたことがなかった。霊的なものを感じたこともなければ、神さまにお祈りしたこともない。だけどお参りは形式的に行う。占いやおみくじは、良いことは信じるけど、悪いことは信じないタイプ。現代人には割と多い人種ではないだろうか。
この本に書いてあることは、シャーマンである鶴見明世さんの実体験である。対談相手の藤村さんが言っているように、それを信じる信じない、本当だウソだと決める話ではない。
ただそういう人がいる。
鶴見さんの身に起きたこと、見たもの感じたものを文字で読み、それであなたは何を感じるか?と投げかけられているような本。
物質主義に生きていると、「そこにある」ことが優先されてしまう。その方が「信用」できるからだ。
だけど、「信用」も「信仰」もする必要がなくて、この本で表現されていたように、ただ「受け止める」ということが大切なのかもと。
科学でよく言われる(と認識している)、「ないものを証明することは困難である」。それと同じで、自分に見えないものは、存在するともしないとも言えないからだ。
自分たちが生きる目の前の世界と違う次元が存在し、そこでも何かが生きている。いや、「生きる」とか「死ぬ」とかの次元でもないのかもしれない。
命があるから生きている、ないから死んでいる。見えるから存在がある、見えないからない。そんなことすらナンセンスで、わたしの語彙にはない表現方法で存在が肯定できる世界がどこかに。
ファンタジーなのか、現実か。もはや自分の判断できる概念にはめ込もうとする意味すらないのかも。そんなふうに思わされた、良い対談だった。
「ほんとうに大切なものは目に見えない」
小説『星の王子さま』で出てくる言葉。
見えるものばかり、証明できるものばかりを信じようとしていないだろうか。もう少し、見えないものを見ようと生きても良いのかな。なんだかそれが、人間の本質なような気もする。
—-
『スピリチュアル・コード』
鶴見明世・藤村龍生 / 羽鳥書店