ヒト、カメになる

小学生のころ、兄弟間で笑い合った良い思い出のひとつが、「姉がカメを産むらしい」というクダリ。経緯はまったく覚えていないけれど、とにかく姉がふと、そう言ったことを口に出したらしいところから始まった。それで私たち妹弟は、それ以来そのことを何度も話題に出して姉を笑った。「ねぇ、いつカメ産むの?」と。

少し前に、「相対性理論」というものについて聞いたり読んだりした。どうやら、時間というのは、絶対的ではないらしいのだ。絶対的、つまり、いつでもどこでも、どんな場所、どんな環境でも同じように流れる訳ではないのだという。そしてそれは、確かに証明された事実であるらしい。

カメは日々歩いたり泳いだりする。食べたり排泄したりする。でも、朝早く他のカメたちと一緒に仕事場へ向かい、目を血走らせながら必死で誰かのための歯車になりはしない(と思われる)。勝手な想像だけど、いつでものんびりしているように見えるのだ。うらやましいほどに。

カメの時間と、人間の時間は、同じように流れているんだろうか。気付いたら1時間はおろか、1分1秒も大切にする人間に対して、カメはどうなんだろう。同じ時間で、人間がすることとカメのすることの違いはどんなところにあるんだろう。

時間は相対的である — 理解できないながらも(事実、計算やロジックは全くもって意味不明だ)、感覚的なところで何だか理解できる気はする。子どもの頃は1年が長く感じるのに対して、大人になると1年はあっという間、みたいなことはよくあるからだ。証明されたロジックに基づいた理論と、私たちのなんとなくの主観、導かれた答えは同じ — 時間は相対的なのだ。そうであれば、人間にだって、カメと同じ時間軸で生活することだってできるのではないか。

大人になった姉が少し前に産んだ子は、ヒトの女の子だった。カメを産まなかったことが、20年越しにハッキリしてしまった。でもまだ、可能性は残されている。ヒトがカメに化ける可能性が。「相対的に」カメのようになれば良いのだ。笑い話ではなく本当だったと、姉には証明してほしい。

そして、わたしもカメになれたらいいなと思う。

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土はカネなり